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木皿泉の紡ぐ世界3 / NHK-FMにてラジオドラマ放送「LET IT PON!〜それでええんよ〜」
過去2回、ココとここでとりあげた木皿泉さん。作品数が少ないだけに新作が待ち遠しい、と思っていたら今週末NHK-FMにて木皿泉・作のラジオドラマが放送される。これは嬉しい。
タイトルは「LET IT PON!〜それでええんよ〜」。
2/4(土) 22:00〜22:50
四国を舞台にしたファンタジー。
声の出演は、柊瑠美(「千と千尋の神隠し」の千尋)、白石加代子(「すいか」小林聡美のお母さん役)、山口祐一郎と豪華。
ん〜楽しみ。聞き忘れるのだけが心配。
詳しくはこちらから NHK-FM BLOG
もしくはこちら NHKオーディオドラマ
昨年になるが、木皿泉(夫妻)のインタビューを掲載している本が、地味に発行されている。木村俊介「仕事の話」
内容は以前、雑誌「小説tripper : トリッパー」に掲載されたものであるが、未読だった方は木皿泉の仕事論が読めるのでおすすめ。
ちなみにインタビュアーの木村俊介さんは以前、糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」でメールマガジンの発行などをしていた「ほぼ日の木村くん」である。昔からのほぼ日ファンなら懐かしいのでは?それにしてもタイトルと表紙、地味すぎやしないかと心配になる。
タイトルは「LET IT PON!〜それでええんよ〜」。
2/4(土) 22:00〜22:50
四国を舞台にしたファンタジー。
声の出演は、柊瑠美(「千と千尋の神隠し」の千尋)、白石加代子(「すいか」小林聡美のお母さん役)、山口祐一郎と豪華。
ん〜楽しみ。聞き忘れるのだけが心配。
詳しくはこちらから NHK-FM BLOG
もしくはこちら NHKオーディオドラマ
昨年になるが、木皿泉(夫妻)のインタビューを掲載している本が、地味に発行されている。木村俊介「仕事の話」内容は以前、雑誌「小説tripper : トリッパー」に掲載されたものであるが、未読だった方は木皿泉の仕事論が読めるのでおすすめ。
ちなみにインタビュアーの木村俊介さんは以前、糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」でメールマガジンの発行などをしていた「ほぼ日の木村くん」である。昔からのほぼ日ファンなら懐かしいのでは?それにしてもタイトルと表紙、地味すぎやしないかと心配になる。
木皿泉のラジオドラマ。こちらも面白い
「カイシャの怪談」
「カイシャの怪談」
週刊ブックレビューが3月末で終了。OH! NO
始まりがあれば終わりがある。
どんな長寿番組だろうといつかは終わる。「笑点」「徹子の部屋」「笑っていいとも」、名立たる番組だっていつかは終わる。頭ではわかっていても、自分が毎週楽しみにしている番組だとやはりショックが大きい。
NHK-BSで毎週日曜に放送されている「週刊ブックレビュー」が3月いっぱいで終了する。
「週刊ブックレビュー」。ゲスト3名が、それぞれおすすめする3冊の本を合評するコーナーと、作家を招いてインタビューをする特集コーナーのふたつで構成されている本に関する番組。1991年からのスタートし、放送回数は900回を超える。
1000回特集を楽しみにしていたのにガッカリである。
番組の顔といえば、昨年亡くなられた児玉清さん。番組中とても楽しそうに、本について語っていたのが忘れられない。目をキラキラさせ、本が好きでたまらない様子が画面を通じて伝わってきた。
見るたびにすごいなと感じていたのが中江有里さん(元祖ポッキー四姉妹)。いまは週がわりで交替する司会者3人のうちの一人だが、以前はアシスタントとして毎週出演していた。
「よくもまぁ、毎週これだけの本を読み込んでくる」と舌をまいた。合評する3冊、特集コーナーでとりあげられる本と合わせ最低でも4冊は読まねばならない。これを毎週である。
「週刊ブックレビュー 20周年記念 ブックガイド」によると一番大変だった回は、特集コーナーが北方謙三の水滸伝だったときで全19巻(笑)。やはり全部読んでから番組に挑まれたそうである。
以前番組で言われていたが、読まないと恐くて書評などできないそうである。アシスタントをしていたのは5年間。うーんすごすぎる。
彼女はその読書量もさることながら、その本のどういう部分をどんなふうに楽しめたのかを視聴者に伝える力も素晴らしい。質問された作家が「よくぞ、その質問をしてくれた」という表情になる場面を何度も見た。
この番組は、ふだんの自分では手に取らないであろう本と出会えることが一番の喜びであるのだが、それ以外でもおもしろかった。
合評のコーナーで全員大絶賛だと、当然はやくその本が読んでみたくなる。反対に「この本のどこが良いのかわかならい」という感想をいうゲストがいるときも楽しい。テレビのなかのことなのに、こちらがドキドキしてしまう。やはり自分のおすすめは気に入って欲しいもの。推薦者がムッとして反論したり、なんとも言えない表情になったり、いろいろな人間模様が垣間見える。
今年から司会に加わった室井滋さんが、そのユニークなキャラクターで新しい風を吹き込んでいただけに重ね重ね残念である。NHKさん、なんとかなりませんかね?
どんな長寿番組だろうといつかは終わる。「笑点」「徹子の部屋」「笑っていいとも」、名立たる番組だっていつかは終わる。頭ではわかっていても、自分が毎週楽しみにしている番組だとやはりショックが大きい。
NHK-BSで毎週日曜に放送されている「週刊ブックレビュー」が3月いっぱいで終了する。
「週刊ブックレビュー」。ゲスト3名が、それぞれおすすめする3冊の本を合評するコーナーと、作家を招いてインタビューをする特集コーナーのふたつで構成されている本に関する番組。1991年からのスタートし、放送回数は900回を超える。
1000回特集を楽しみにしていたのにガッカリである。
番組の顔といえば、昨年亡くなられた児玉清さん。番組中とても楽しそうに、本について語っていたのが忘れられない。目をキラキラさせ、本が好きでたまらない様子が画面を通じて伝わってきた。
見るたびにすごいなと感じていたのが中江有里さん(元祖ポッキー四姉妹)。いまは週がわりで交替する司会者3人のうちの一人だが、以前はアシスタントとして毎週出演していた。
「よくもまぁ、毎週これだけの本を読み込んでくる」と舌をまいた。合評する3冊、特集コーナーでとりあげられる本と合わせ最低でも4冊は読まねばならない。これを毎週である。
「週刊ブックレビュー 20周年記念 ブックガイド」によると一番大変だった回は、特集コーナーが北方謙三の水滸伝だったときで全19巻(笑)。やはり全部読んでから番組に挑まれたそうである。以前番組で言われていたが、読まないと恐くて書評などできないそうである。アシスタントをしていたのは5年間。うーんすごすぎる。
彼女はその読書量もさることながら、その本のどういう部分をどんなふうに楽しめたのかを視聴者に伝える力も素晴らしい。質問された作家が「よくぞ、その質問をしてくれた」という表情になる場面を何度も見た。
この番組は、ふだんの自分では手に取らないであろう本と出会えることが一番の喜びであるのだが、それ以外でもおもしろかった。
合評のコーナーで全員大絶賛だと、当然はやくその本が読んでみたくなる。反対に「この本のどこが良いのかわかならい」という感想をいうゲストがいるときも楽しい。テレビのなかのことなのに、こちらがドキドキしてしまう。やはり自分のおすすめは気に入って欲しいもの。推薦者がムッとして反論したり、なんとも言えない表情になったり、いろいろな人間模様が垣間見える。
今年から司会に加わった室井滋さんが、そのユニークなキャラクターで新しい風を吹き込んでいただけに重ね重ね残念である。NHKさん、なんとかなりませんかね?
男の嫉妬ってやつは。テレンス・トレント・ダービー
「ゴーストバスターズ」という超大ヒットがレイ・パーカー・ジュニアの足かせになったというエントリーを以前かいた。今回のテレンス・トレント・ダービーは男の嫉妬でツブされたという一面がある。
1988年、第30回記念グラミー賞授賞式。いまではマイケル・ジャクソンのマン・イン・ザ・ミラーにおけるパフォーマンスが伝説になっているが、衝撃度ではマイケル以上だったのがTerence Trent D'Arby。
テレンスはIf You Let Me Stay でまずイギリスでブレイクした。
中性的で美しい顔立ち、顔が小さく手足も長い溜め息の出るようなスタイル。ルックスに反してハスキーな歌声、それでいてプリンスばりのマルチプレイヤー。黒人をはじめ様々な人種の血を受け継いでおり、次世代のスターになる雰囲気に満ちあふれていた。
NHK-FMで放送されたイギリスBBCのラジオ番組「IN Concert」でのライブで僕は虜になった。このライブテープはいま聴いてもゾクゾクする。
グラミーを見ていた視聴者も同じように魅了されたようで、パフォーマンスからふた月後、「Wishing Well」がビルボードの1位になった。Signもベスト10に入り、スーパースターに仲間入りする下地は固まった。
そういえば妹に面白いよとすすめられた当時人気の少女漫画、成田美奈子の「サイファ」「アレクサンドライト」に、テレンスをモデルにしたアレクサンドラ・レヴァインというキャラが出ていた。漫画自体も面白かったな。それぐらい彼は魅力に溢れていた。
世間の期待を受けて発表されたセカンドアルバム、「Neither Fish Nor Flesh」(以下NFNF)で見事にコケた。あくまで「セールス」的にはだけど。
「時代を先取りしすぎた」「今なら正当に評価されるはず」「前作とあまりにイメージが違いすぎた」。テレンスのNFNFを語るとき、そんなことが言われる。僕もそう思う。内容だけでいうならば、80年代の名盤としてとりあげられてもいいアルバムだ。
そりゃ、僕も最初に聴いたときは「な・ん・だ・こ・れ」だった。特に前半の4曲。ずっと聴いていくとこの4曲こそが、このアルバムの肝だというのはわかるけれど、それがわかるには何回も聴かなければならなかった。いや正確に言うと、何回も聴かずにはいられなかった。それぐらい中毒性が高い。
ペット・サウンズ発売当時、それまでのビーチ・ボーイズファンの受けた衝撃ってこんな感じだったのかなと、勝手な妄想もしたくなる。
まぁとにかく、先にあげた理由のほかに、テレンスがビッグマウスすぎてマスコミに嫌われたことが影響している、とも言われている。ここやここのブログさんに詳しく書かれているが、生来の性格がそうだったのか、戦略的にそういうキャラクターで売っていこうとしたのかわからないけれど(たぶん前者)、好き放題言っているインタビューを当時僕も目にした。
マスコミに「なんやこの若造?」と思われているところに、一聴すると難解な新譜を出したものだから、彼らのサンドバッグにされてしまった。「売れたとたんに芸術家ヅラしやがって」みたいな叩かれ方だったと記憶している。
もし、テレンスの容姿があんなんじゃなかったら、あそこまで叩かれたのかな。背が低かったら?太っていたら?顔が人並みだったら?どれかひとつでも当てはまっていたのなら、もう少しマシな扱われかたをしたのじゃないだろうか。
日本でも、オカマキャラや毒舌でならしているタレントらが発しているキツめのコメントを、もし容姿端麗で才能あふれる新人が言ったなら、たちまちツブされて終わりだろう。容姿と才能、どちらも兼ね備えている同性への嫉妬は根深いのかもしれない。
テレンス・トレント・ダービー名義で出されたアルバムは4枚。「Introducing the Hardline According to Terence Trent D'Arby」「NFNF」「Symphony or Damn」「Vibrator」

Symphony or Damnまでの3枚は傑作といっていい、Vibratorだって悪くない。いまブックオフでは全て250円で売られているのだろう。もし見かけたのなら何かの縁、聴いてみてはいかがでしょう。
1988年、第30回記念グラミー賞授賞式。いまではマイケル・ジャクソンのマン・イン・ザ・ミラーにおけるパフォーマンスが伝説になっているが、衝撃度ではマイケル以上だったのがTerence Trent D'Arby。テレンスはIf You Let Me Stay でまずイギリスでブレイクした。
中性的で美しい顔立ち、顔が小さく手足も長い溜め息の出るようなスタイル。ルックスに反してハスキーな歌声、それでいてプリンスばりのマルチプレイヤー。黒人をはじめ様々な人種の血を受け継いでおり、次世代のスターになる雰囲気に満ちあふれていた。
1988年グラミー賞
NHK-FMで放送されたイギリスBBCのラジオ番組「IN Concert」でのライブで僕は虜になった。このライブテープはいま聴いてもゾクゾクする。
グラミーを見ていた視聴者も同じように魅了されたようで、パフォーマンスからふた月後、「Wishing Well」がビルボードの1位になった。Signもベスト10に入り、スーパースターに仲間入りする下地は固まった。
そういえば妹に面白いよとすすめられた当時人気の少女漫画、成田美奈子の「サイファ」「アレクサンドライト」に、テレンスをモデルにしたアレクサンドラ・レヴァインというキャラが出ていた。漫画自体も面白かったな。それぐらい彼は魅力に溢れていた。世間の期待を受けて発表されたセカンドアルバム、「Neither Fish Nor Flesh」(以下NFNF)で見事にコケた。あくまで「セールス」的にはだけど。
「時代を先取りしすぎた」「今なら正当に評価されるはず」「前作とあまりにイメージが違いすぎた」。テレンスのNFNFを語るとき、そんなことが言われる。僕もそう思う。内容だけでいうならば、80年代の名盤としてとりあげられてもいいアルバムだ。
そりゃ、僕も最初に聴いたときは「な・ん・だ・こ・れ」だった。特に前半の4曲。ずっと聴いていくとこの4曲こそが、このアルバムの肝だというのはわかるけれど、それがわかるには何回も聴かなければならなかった。いや正確に言うと、何回も聴かずにはいられなかった。それぐらい中毒性が高い。
ペット・サウンズ発売当時、それまでのビーチ・ボーイズファンの受けた衝撃ってこんな感じだったのかなと、勝手な妄想もしたくなる。
まぁとにかく、先にあげた理由のほかに、テレンスがビッグマウスすぎてマスコミに嫌われたことが影響している、とも言われている。ここやここのブログさんに詳しく書かれているが、生来の性格がそうだったのか、戦略的にそういうキャラクターで売っていこうとしたのかわからないけれど(たぶん前者)、好き放題言っているインタビューを当時僕も目にした。
マスコミに「なんやこの若造?」と思われているところに、一聴すると難解な新譜を出したものだから、彼らのサンドバッグにされてしまった。「売れたとたんに芸術家ヅラしやがって」みたいな叩かれ方だったと記憶している。
もし、テレンスの容姿があんなんじゃなかったら、あそこまで叩かれたのかな。背が低かったら?太っていたら?顔が人並みだったら?どれかひとつでも当てはまっていたのなら、もう少しマシな扱われかたをしたのじゃないだろうか。
日本でも、オカマキャラや毒舌でならしているタレントらが発しているキツめのコメントを、もし容姿端麗で才能あふれる新人が言ったなら、たちまちツブされて終わりだろう。容姿と才能、どちらも兼ね備えている同性への嫉妬は根深いのかもしれない。
テレンス・トレント・ダービー名義で出されたアルバムは4枚。「Introducing the Hardline According to Terence Trent D'Arby」「NFNF」「Symphony or Damn」「Vibrator」

Symphony or Damnまでの3枚は傑作といっていい、Vibratorだって悪くない。いまブックオフでは全て250円で売られているのだろう。もし見かけたのなら何かの縁、聴いてみてはいかがでしょう。
小澤征爾 × 村上春樹 / 小澤征爾さんと、音楽について話をする
1Q84がそれほど自分の好みではなかったのことが影響しているのかわからないけれど、いまは村上春樹の小説よりもエッセイ・随筆的なものを楽しみにしている。
まぁ、エッセイもいまの「村上ラジオ」より、安西水丸さんのゆるーい絵が浮かぶ「村上朝日堂」的なほうが好きだから、一番楽しみにしているのは音楽に関する文章である。
年末、「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を読んだ。
クラシックなんてバッハぐらいしか聴かない自分が読んでも楽しめるかどうか不安だったのだのだけど、まったくの取り越し苦労。本当はゆっくりゆっくり読むつもりが、一気に読み終えてしまった。
やはり村上春樹の音楽に関する文章はおもしろい。
超一流音楽家と音楽素人の対談なのだが、村上春樹がただの素人ではなく超一流の素人だった。
音楽を一度分解し、再構築して文章として表現する圧倒的な力量は、村上さんのこれまでの著作で十分にわかってはいたが、世界の小澤に「音楽の聴き方が深い」と言わしめる「聴く力」はすごい。
一流の素人が的確に、超一流の音楽家に疑問をぶつけていくわけだから面白くない訳が無い。とりあげられている楽曲がなんとなくしか頭に浮かばなくても(スミマセン)楽しめるのだから、実際の音楽を聴きながらだとどれだけエキサイティングなのだろう。
意外だったのは、マエストロが他の音楽家のCDやレコードをあまり聴いていないということ。じゃあ、何をしているのかというと「勉強」。ひたすらなんどもなんべんも譜面を読み込むそうだ。
門外漢の意見だけれども、現在の聴き手からするとクラシックは比較の音楽という一面もあると思う。ひとつの楽曲をどう解釈し、どのように演奏するか。そうして生まれたそれぞれの演奏を相対化することによってより楽しみが増す。
演奏者、この本でいうと小澤征爾は、譜面を読み込みそれを自分なりに咀嚼し自分の血肉としていく。そこには他者との比較、相対化など存在しない、といわんばかりの音楽家の凄みが感じられた。
対談の合間に、インタリュードとしてちょっと脇道にそれた雑談も掲載されている。そのなかの「文章と音楽の関係」の項の内容は、他の媒体でも村上さんがよく書かれているだがあらためて考えさせられる。ところどころ省きながら引用してみる
音楽的な耳をもっていないと文章ってうまく書けないんです。だから音楽を聴くことで文章がよくなり、文章をよくしていくことで音楽がうまくきけるようになってくるということはあると思うんです。両方向から相互的に。(中略)
文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。(中略)
小説を書いていて、そこにリズムがないと、次の文章は出てきません。すると物語も前に進まない。文章のリズム、物語のリズム。そういうのがあると自然に次の文章が出てきます。僕は文章を書きながら、それを自動的に頭の中で音として起こしていきます。
「文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです」「そこにリズムがないと、次の文章は出てきません」 あぁ、耳が痛い・・・
まぁ、エッセイもいまの「村上ラジオ」より、安西水丸さんのゆるーい絵が浮かぶ「村上朝日堂」的なほうが好きだから、一番楽しみにしているのは音楽に関する文章である。
年末、「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を読んだ。クラシックなんてバッハぐらいしか聴かない自分が読んでも楽しめるかどうか不安だったのだのだけど、まったくの取り越し苦労。本当はゆっくりゆっくり読むつもりが、一気に読み終えてしまった。
やはり村上春樹の音楽に関する文章はおもしろい。
超一流音楽家と音楽素人の対談なのだが、村上春樹がただの素人ではなく超一流の素人だった。
音楽を一度分解し、再構築して文章として表現する圧倒的な力量は、村上さんのこれまでの著作で十分にわかってはいたが、世界の小澤に「音楽の聴き方が深い」と言わしめる「聴く力」はすごい。
一流の素人が的確に、超一流の音楽家に疑問をぶつけていくわけだから面白くない訳が無い。とりあげられている楽曲がなんとなくしか頭に浮かばなくても(スミマセン)楽しめるのだから、実際の音楽を聴きながらだとどれだけエキサイティングなのだろう。
意外だったのは、マエストロが他の音楽家のCDやレコードをあまり聴いていないということ。じゃあ、何をしているのかというと「勉強」。ひたすらなんどもなんべんも譜面を読み込むそうだ。
門外漢の意見だけれども、現在の聴き手からするとクラシックは比較の音楽という一面もあると思う。ひとつの楽曲をどう解釈し、どのように演奏するか。そうして生まれたそれぞれの演奏を相対化することによってより楽しみが増す。
演奏者、この本でいうと小澤征爾は、譜面を読み込みそれを自分なりに咀嚼し自分の血肉としていく。そこには他者との比較、相対化など存在しない、といわんばかりの音楽家の凄みが感じられた。
対談の合間に、インタリュードとしてちょっと脇道にそれた雑談も掲載されている。そのなかの「文章と音楽の関係」の項の内容は、他の媒体でも村上さんがよく書かれているだがあらためて考えさせられる。ところどころ省きながら引用してみる
音楽的な耳をもっていないと文章ってうまく書けないんです。だから音楽を聴くことで文章がよくなり、文章をよくしていくことで音楽がうまくきけるようになってくるということはあると思うんです。両方向から相互的に。(中略)
文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。(中略)
小説を書いていて、そこにリズムがないと、次の文章は出てきません。すると物語も前に進まない。文章のリズム、物語のリズム。そういうのがあると自然に次の文章が出てきます。僕は文章を書きながら、それを自動的に頭の中で音として起こしていきます。
「文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです」「そこにリズムがないと、次の文章は出てきません」 あぁ、耳が痛い・・・
又吉直樹 / 第2図書係補佐
本が好き、という発言を聞くと「どんな人なんだろう」と興味の度合いがふた目盛りぐらいアップする。
もちろんその人が本好きだからといって、気があうとも限らないのだけれども、それが俳優やミュージシャンといったメディアに露出する人の場合だと、どんな活動をしているのか気になる。
ピースの又吉直樹さんもそんなうちの一人。
ウッチャンナンチャンのイロモネアにピースがでていたとき、ピョンピョン飛び跳ねながら「僕はおそらく殺されるだろう」というひと言がツボに入り、その直後ぐらいに彼がかなりの読書家ということを知った。
「せきしろ」氏との共著「カキフライが無ければ来なかった」と「まさかジープで来るとは」。この2冊の自由律詩+エッセイ本もかなり面白かったから、最新作も楽しみにしていた。
「第2図書係補佐」。吉本発行のフリーペーパーに連載されていた、本にまつわるエッセイまとめたもので、いわゆる書評本ではなく本の内容と絡めた彼自身のコラム。
穂村弘の「世界音痴」をとりあげた項にこんな文がある
駅のホームで電車を待っていると、いつの間にか自分の後ろに長い行列が出来ていた。しかし足下を見ると電車の扉が開くポイントから大きくズレている。心臓が高鳴る。今更背後の人達に「すんません間違えました」と笑顔でごまかすことなど出来ない。しょうがないのでストレッチをしているふりをしながら徐々に扉が開く地点に移動する。「俺、何してんねやろ?」
彼のエッセイの魅力は、この「俺、何してん?」への共感とそれを笑いへ転化する(してくれる)爽快さ。いつか又吉直樹作の小説を書いてほしい。
「キネマ旬報社」のWEBで連載されているエッセイも面白いので興味のあるかたはこちらからどうぞ。
以下、備忘代わりになるがこの本で取り上げられている作品群
もちろんその人が本好きだからといって、気があうとも限らないのだけれども、それが俳優やミュージシャンといったメディアに露出する人の場合だと、どんな活動をしているのか気になる。
ピースの又吉直樹さんもそんなうちの一人。
ウッチャンナンチャンのイロモネアにピースがでていたとき、ピョンピョン飛び跳ねながら「僕はおそらく殺されるだろう」というひと言がツボに入り、その直後ぐらいに彼がかなりの読書家ということを知った。
「せきしろ」氏との共著「カキフライが無ければ来なかった」と「まさかジープで来るとは」。この2冊の自由律詩+エッセイ本もかなり面白かったから、最新作も楽しみにしていた。
「第2図書係補佐」。吉本発行のフリーペーパーに連載されていた、本にまつわるエッセイまとめたもので、いわゆる書評本ではなく本の内容と絡めた彼自身のコラム。穂村弘の「世界音痴」をとりあげた項にこんな文がある
駅のホームで電車を待っていると、いつの間にか自分の後ろに長い行列が出来ていた。しかし足下を見ると電車の扉が開くポイントから大きくズレている。心臓が高鳴る。今更背後の人達に「すんません間違えました」と笑顔でごまかすことなど出来ない。しょうがないのでストレッチをしているふりをしながら徐々に扉が開く地点に移動する。「俺、何してんねやろ?」
彼のエッセイの魅力は、この「俺、何してん?」への共感とそれを笑いへ転化する(してくれる)爽快さ。いつか又吉直樹作の小説を書いてほしい。
「キネマ旬報社」のWEBで連載されているエッセイも面白いので興味のあるかたはこちらからどうぞ。
以下、備忘代わりになるがこの本で取り上げられている作品群
